豹変した活動地への道 – 7年ぶりの大規模土砂崩れ

2015年7月14日

 7月12日に、大使館供与のトラック(トラック回収中 参照)を引き渡してもらうため下の2人の子どもをバジェグランデにおいて、日帰り予定で上の男の子とサンタクルスに行きました。しかし、結局トラックは約束の12日に受け取る事ができませんでした。バジェグランデで引き渡すということにして、次の日の朝7時半にバジェグランデに向けて乗り合いタクシーで戻ることになりました。

 サンタクルスは現在冬で乾季のはずですが、今年は雨が多く、この日も雨がだいぶ強く降っていたので心配になって、乗り合いタクシーの運転手さんに「道は大丈夫?」と聞くと「俺は朝の4時にサマイパタを出てきたけど、何ともなかったよ」というので、安心して乗り込みました。

 ところが、サンタクルスから約80㌔地点まで来たところで、前方に車が10台ほど止まっています。見ると崖から勢いよく土砂が押し流され、行く手を阻んでいます。

土砂で埋まったサマイパタへの道

土砂で埋まったサマイパタへの道

 運転手さんは「大丈夫、最近は重機が常駐しているからすぐに来てどけてくれるよ」とのんびり言っていましたが、待つこと4時間、5時間・・。昼の2時近くになっています。後ろから来た車の列ももう先が見えないくらい長くなり、みんなただただブルドーザーを待っています。強行突破しようとしたジープは、途中で引っかかってしまい、みんなで一所懸命、土砂をどけたりしています。

 偶然にも同乗者にカレンダーを売ってもらっている本屋さんの息子さんがいて、色々と話ができたのが救いでした。やっと3時になってブルドーザーが到着しました。上からの土砂はますます勢いを増すばかりで、どけた先から土砂がまた新しい山を作るなか、ついに片道で通れる位のスペースができました。

 片道通行開始後、上りと下りの衝突&ケンカが始まりました。私は前から3台目の車にいたんですが、一般的なルールではのぼり優先だと思うのですが、全く無視されて下りが延々と下ってきます。チャンスを逃したのぼり車はただただ途切れるのを待つばかり。と思っていたらトラックがはまりました・・・。

 またブルドーザを呼んできて引っ張って・・・1時間経過。「やっと通れた」と思ったら 途中の乗客の野次で堪忍袋の緒がきれたタクシーの運ちゃんと男性乗客がとの殴り合いのケンカが始まりました。身の危険を感じてタクシーを替えました。サマイパタまで後40キロ地点の所まで来たところで、次々とタクシーが帰ってきています。その現場に行くまでもなく私たちのタクシーもベルメッホという小さな村に止まりました。運ちゃんいわく「今日はここまで」、まさか!?

 話によると通ってきた土砂崩れ地点があの後滑落し完全に通れなくなり、ここから先は20か所以上の土砂崩れが起こっているそう。まさに「前にも後ろにも進めない閉じ込められた状態」になりました。

 夜になり、どんどん気温が下がるベルメッホにはあきらめたタクシーやバス、車が続々集まってきています。車中泊が確実になり、寒さをしのぐためにシンガニを飲み、着替えで持ってきた靴下やシーツを体に巻きました。

 携帯の時計を何度も見ながらこんなにも早く時間が過ぎて朝になってほしい!と思ったのは初めてです。寒いのと降り続ける雨が気になり殆ど寝れず夜が明けました。やっと夜が明けましたが、一台も車が通りません。ということはサンタクルスからもサマイパタからも通行がまだ不可能という状況です。

サンタクルスからサマイパタまでの道に20ヶ所以上の土砂崩れがおきました

サンタクルスからサマイパタまでの道に20ヶ所以上の土砂崩れがおきました

川のような道

川のような道

 お昼前になり、さてどうしようかと思案しているところに、DIFARスタッフのサバさんとバジェグランデ病院の麻酔医と産婦人科医と遭遇。サマイパタに向かう決心がつきました。私の息子も、産婦人科医の9歳の子供に勇気づけられ歩きはじめました。

 噂では橋が落ちているとか、腰まで泥に浸かるとか、既に死人が出てるだとか、上から大石が落ちたばかりとか・・・。そんな噂を振り切り歩きはじめてすぐに難関があり、膝まで泥に埋もれました。四つん這いにならないとのぼれない場所も出てきました。

 サマイパタからも何人かの人が歩いてきていて一応道はある、という事も確認できました。

 会う人会う人、「やめた方がいい、引き返した方がいい」と口をそろえて言います。でも、もう引き返す気持ちにはなりません。サバさんたちは「見てごらん。あんなおばあちゃんや、子供たち、ほらヤギを連れている人もいるくらい。若い僕たちが通れないはずはない」と言います。暗くなったら本当に危ないから速足で進みました。土砂崩れ、道路の滑落があちこちであり今まで100往復以上している道なのに、どこを通っているのか把握できないぐらいでした。

 結構きつい登りの道 泥道を、息子が文句も言わず一緒の男の子と楽しそうに歩いているのには本当に感心しました。

 もう辺りがうす暗くなり始めたときに後ろから「助けて~」と声が聞こえます。今越えてきたばかりの深い泥の土砂崩れに、おばあちゃんと犬を抱いた女の子が足が抜けなくなって泣いていました。サバと私と息子は、引き返して、泣きじゃくる女の子とおばあちゃんを一所懸命引っ張り出しました。私達も全身泥だらけになってしまいましたが、なんとか2人を泥から救出しました。山側の反対は崖になっています。もうひと崩れ来たら、土砂もろとも流される状況です。おばあさんは靴を泥の中に失くしてしまい、裸足で歩いていました。

 もう辺りが真っ暗になった所でやっとバイクが通行できるところまでたどり着きました。サバさんはバイクに値段交渉ができる気力があるらしく、「高い!ぼったくり!」とぼやきながらバイクに乗りました。あ~、やっと帰れる~と思ったのもつかの間。バイクはここまで?と途中で降ろされました。

地割れの道を 7時間かけて歩いたりヒッチハイクをしたりしてサマイパタについました。 

地割れの道を 7時間かけて歩いたりヒッチハイクをしたりしてサマイパタについました。

 タクシーを待ってまた時間が過ぎ、寒さも増してきました。サバさんがサマイパタから来たトラックを止めてくれ、全身びしょ濡れ、泥が付いた足は重くもう限界の私と息子だけ乗せてくれるように交渉してくれました。トラックに乗せてもらった後さらに降ろされ、ヒッチハイクなどをして、やっとサマイパタに着いたのは夜9時でした。 その足でサバさんを他のドクターたちと一緒に、迎えに行きました。

 息子はもう疲れすぎて無言・・・。私たちは、サマイパタにもう1泊しました。 サバさんやドクターたちはサマイパタでバジェグランデ行の車をチャーターしさらにバジェグランデまで帰りました。着いたのは夜中12時過ぎたそうです。しかし、サバさんは、次の日ちゃんと8時にオフィスに出てたそうです。

 この規模の土砂崩れは確か2007年。堆肥作りの専門家の橋本力男氏来訪の折、サンタクルスへの帰りに遭遇しました。その時は、トラックで間一髪乗り越えました。

 何気なく通っている活動地の道ですが、自然の力で一瞬で豹変してしまいます。2時間半で通りすぎる行程が、ほぼ2日間かってたどり着いた事になります。  (DFARメーリングリストPLAZA_Boliviaへの瀧本里子の近況投稿より)

 

 

 

 

 

 

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